最高裁判所第三小法廷 昭和59年(オ)107号 判決 1986年5月06日
上告人(原告)
佐々木直正
ほか一名
被上告人(被告)
国
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人大嶋芳樹の上告理由第一点及び第二点について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係のもとにおいて、被上告人が上告人らに対し本件事故の発生について所論の損害賠償責任を負わないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立つて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
同第三点について
本件記録にあらわれた審理の経過に照らすと、原判決に所論の違法があるとは認められない。論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 坂上壽夫 伊藤正己 安岡滿彦 長島敦)
上告理由
第一点
原判決には、次に述べるとおり、事実の認定について経験則に違反した違法、公の営造物の設置の瑕疵(国家賠償法二条一項)及び安全配慮義務違背(民法四一五条)についての解釈適用を誤つた違法があり、この誤りが判決に影響を及ぼすこと明らかである。
一 訴外佐々木進(以下、佐々木一曹という)が、T三三Aジエツト練習機(機番八一―五三四一、以下、本件事故機という)から脱出後も、その座席が同一曹の身体と分離することなく、パラシユートが開傘しないままに終つた原因は、事故機から脱出した佐々木一曹が緊急時における異常な緊張のため、左手で座席のアームレストを固く握りしめていたことにあると推認される。
これについて原判決が是認して引用する第一審判決は、本件事故機に装備されている緊急脱出装置が、座席と人体とを確実に分離させる構造、性能を有していないことについて、被上告人は、このような装置であることを前提として、佐々木一曹に対し緊急脱出装置の操作に習熟させる訓練を実施し、さらにパイロツト適性に対する監視体制を整えている以上、佐々木一曹の前記行動は通常予測される範囲を超える事態というべきであり、かかる事態を想定したうえでの性能、安全性を具備した緊急脱出装置を要求することは過大であるといわざるをえないとして、本件緊急脱出装置は、その通常有すべき安全性に欠けるところはなく、また本件緊急脱出装置を装備したことが被上告人の安全配慮義務違反とはならない旨判示した(第一審判決三一丁裏、三二丁表)。
二1 しかし、原判決の右判断は、装置の安全の不備を訓練で補うという本末転倒の誤りを犯している。この種緊急脱出装置の空中脱出後の操作については、その安全をパイロツトの訓練のみによつて保障するという考え方は絶対に採つてはならないのである。
けだし、人間工学的にみて、人間は必ずしも期待どおりに行動できるものではなく、まして緊急脱出という緊急事態において人間は誤りを犯すかまたは正常な行動ができないことが少なくない。したがつて、この種緊急脱出装置については、人間は「誤りを犯す機械」であることを前提として、その構造、性能を設定しなければならないのであり、その安全確保を訓練、教育に期待すべきものではないのである。
2 本件事故機の緊急脱出装置は、パイロツトと座席が七〇センチメートル以上分離しなければパラシユートの自動開傘装置が作動しない構造になつている。
したがつて、右のような構造を前提とすれば、射出座席に取り付けられているパイロツト・座席分離装置は、当然パイロツトを座席から少なくとも七〇センチメートル以上確実に弾き出す性能を備えていなければ十分に安全なものとはいえないのである。なぜならば、パイロツトは空中での緊急脱出という異常状態にあるわけであるから、恐怖と緊張のためアームレストを握りしめるなどして座席から離れる動作が十分とれないことは、後述のとおり、これまでの緊急脱出事例の経験からしても、容易に予測されるのであり、右のような事態をも予測してパイロツト座席が七〇センチメートル以上自動的に分離するような構造、性能を具備していなければ、安全な分離装置とはいえないからである。
三1 また、佐々木一曹の緊急脱出後の前記行動は、次に述べるとおり、通常予測される範囲内の事態というべきであり、原判決にはこの点の事実認定について経験則に違反し、国家賠償法二条一項及び民法四一五条の解釈適用を誤つた違法がある。
そもそも、緊急脱出は、パイロツトが飛行不能という異常な事態に遭遇して実施するものであり、脱出の際、パイロツトは座席もろとも急激に機外の空中に一〇メートル以上も飛ばされるのである(第一審升田証人の調書二四〇項)。したがつて、このように機外に緊急脱出するという異常な事態に陥つた者が、緊張のあまり自由な行動をとることができなくなる場合があることは容易に予測できることである。溺れる者はわらをもつかむの例えもあるとおり、このような場合、人間は必死になつて何かをつかもうとするのが通常であつて、座席のアームレストから手を離して手を中ぶらりんの状態にせよというのは、資格を有するパイロツトにとつても極めて困難なことであるし、脱出後の空中を上昇し降下する異常事態のものでアームレストから手を離して座席と分離するように行動せよというのも困難なことである。
まして、佐々木一曹はわずか五回(五時間五〇分)の単独飛行の経験しかなく、未だパイロツトの資格を有していない訓練中の学生であつたから、その緊張状態は想像にあまりあるものがあり、右のような行動を実施することはなおさら困難なことである。佐々木一曹は、各飛行教育課程において脱出訓練を受けていたといつても、この訓練はコツクピツト内で行う脱出の手順の訓練のみであつたのであり、実際に機外に射出する訓練は全く受けていなかつたのである。(第一審有富証人の調書二四二項)。脱出後に行う座席との分離の努力は、パラシユートが開いて、ゆつくり降下する状態になつてはじめて十分可能となるのである。
2 右の点については、航空医学の専門家もこれを実証しており、緊急事態に陥り、「生命の危険にさらされた場合のパイロツトの知覚、思考、行動は通常のそれと著しく異なつており、時には全く別人であるかのような感さえいだかせる。」(甲第六号証二四六頁)ものであり、処置の選択については「緊急操作がいかに身についているかによりこの正確度が異なり、未経験者は過緊張に陥つて平常時には覚えているはずの操作が出てこない」(同二四八頁)と指摘している。このような緊急事態における人間行動の理論(甲第六号証、第七号証)からはもとより、さらに後述のように、本件事故以前にも、本件事故と同様に、地上まで座席ハンドルを握りしめたままになつている実例が六パーセントもあつたというのであるから(甲第九号証三五頁、なお甲第七号証一六二頁)、本件事故について、佐々木一曹が、緊急脱出後、緊張のあまり行動の自由を失い、座席のアームレストを握りしめたままでいたことは、同一曹に限られた異常な出来事ではなく、被上告人において十分予測可能な出来事であつたといわなければならない。
3 佐々木一曹の前記行動が予測可能であつたことは、次に述べる航空自衛隊及び米空軍の緊急脱出例によつても、統計的にこれを裏付けることができるのである。
(一) 黒田勲「航空自衛隊における緊急脱出例(昭和三二年一月~昭和三八年一二月)」飛行安全資料No.64―2(甲第九号証)は、航空自衛隊において発生した七四例の射出脱出例について分析を行つたものである。
(1) 同資料によれば、脱出初動時に生じた困難点は左記の表のとおりであり(同一〇頁)、同資料は、脱出初動時の困難点の分析の結果から、「米空軍の分析においても述べているように、脱出時の心理的反応は正常に考えられない程、切迫しており、この状態においての脱出操作は、できるだけ簡単で、しかも確実な方法がとられるべきで、現在F一〇四に使用されている座席のすぐ前にある環をひく単一操作方式が望ましい。」と述べている(一〇頁)。
記
脱出初動時の困難点
(2) 同資料によれば、脱出後に生じた困難点のうち、開傘までの姿勢は左記の表のとおりである(同一〇~一一頁)。
記
開傘までの姿勢
(3) 同資料は、七四例の緊急脱出を例について分析を行つた結果を総括して、次のとおり問題点を指摘している(同二頁)。すなわち、
「七年間における航空自衛隊の緊急脱出をふりかえると、死亡例の多くは保命装備品の不備によるものが多く、死亡例の発生があつて初めて改善が行われていることをうかがい知ることができる。すなわち航空自衛隊における個人装具等の改善は貴重なパイロツトの生命をもつてあがなわれていることを銘記しなければならない。
保命装備品は広く各分野の所掌にわたり、ともすればその中心を失い、改善、開発の推進に対する起動力に欠け、事故発生まで放置されている傾向が強い。
事故防止には常に事故に先行して、その潜在的要因を摘みとらねばならぬように、個人装具等の改善、開発も事故発生に先行して処置されるような努力が必要である。
現在の航空自衛隊において、特に必要とする諸点は次のとおりである。
<1> 保命装備品の改善、開発の推進のための強力な組織の確立
<2> 組織内における所掌業務の明確化、円滑な運用
<3> 保命装備品に関する各国資料、情報の入手
<4> 不具合点の改善のための組織的活動
<5> 脱出、保命に関する教育、訓練の強化」
であると。
(二) 次に、黒田勲訳「米空軍における緊急脱出例(一九六一年一月~一九六二年一二月)――USAF Ejection Experience Study NR37―63」飛行安全資料No.64―2(甲第九号証)は、米空軍において発生した四四〇例の射出脱出例について分析を行つたものである。
(1) 同資料によれば、脱出初動時に生じた困難点は左の表のとおりである(同三五頁)。
記
脱出初動時の困難点
(2) 次に、同資料によれば、脱出後の困難点は左記の表のとおりであり(三五頁)、これによれば、四五一例中脱出後も「座席ハンドルをにぎつたまま」が二八例(六パーセント)も見られ、また「シートセパレーターの機能不良」が二例見られる。
記
脱出後の困難点
(三) 右(一)、(二)の各資料によれば、パイロツトは緊急脱出時においては心理的に切迫していることから、高度に緊張し、正常の操作をすることが容易ではなく、また脱出後の姿勢も、航空自衛隊の緊急脱出例ではぐるぐる回るものが五三例中二四例(四五パーセント)も占めており、このような不安定な状態で座席ハンドルから手を離し、座席から分離するため座席を蹴放す等の作業をすることは容易ではない。現に、前記米空軍の緊急脱出例によつても、脱出後座席ハンドルを握つたままであつた者が四五一例中二八例(六パーセント)もあつたのである。
(四) したがつて、被上告人は、これら航空自衛隊及び米空軍の緊急脱出例からも、パイロツトが機外に脱出後、緊張のあまり行動の自由を失い、座席ハンドルから手を離すことができない例が少なからずある(六パーセントある)ことを知つていたのであるから、本件事故時のような佐々木一曹の行動も当然予測できたというべきである。
すなわち、緊急脱出後も座席ハンドルを握つたままの者が統計上六パーセントも存する場合は、パイロツトのこのような行動は通常予測される範囲を超えるものということは到底いえないのであり、この点に関する原判決の前記判断は経験則に反しており、誤りというべきである。
4 最判昭和五五年九月一一日(判例時報九八四号六五頁以下、特に六七頁、甲第五号証)は、国家賠償法二条一項の解釈につき、「けだし、国家賠償法二条一項にいう公の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠くことをいうのであるが、当該営造物の利用に付随して死傷等の事故の発生する危険性が客観的に存在し、かつ、それが通常の予測の範囲を越えるものでない限り、管理者としては、右事故の発生を未然に防止するための安全施設を設置する必要があるものというべきであ(る)」(傍点は上告代理人)と判示している。
ところで、本件緊急脱出装置はパイロツトがアームレストから手を離して座席から分離する努力をしなければ死傷等の事故の発生する危険性が客観的に存在することは明らかであり、かつ、これまで述べた理由により、パイロツトが、緊急脱出後、緊張のあまり座席のアームレストから手を離さない場合があることは予測外のことではなく、被上告人において十分予測可能であつたものであるから、右最高裁判決にてらし、被上告人は右事故の発生を未然に防止するための安全施設(例えば、パイロツトを座席から確実に七〇センチメートル以上分離させる性能を有するパイロツト・座席分離装置、パイロツトがアームレストを握りしめていられないようにするアームレストの装置、パイロツトが座席から分離しなくてもパラシユートが自動開傘する装置など)を設置する義務があつたというべきである。
5 したがつて、以上述べたところにより、佐々木一曹の緊急脱出後の行動が、予測される範囲を超えることを理由に、本件緊急脱出装置はその本来備えるべき安全性に欠けるところはなく、また同装置を装備したことが被上告人の安全配慮義務違背とはならないとした原判決の判断は事実の認定について経験則に違反した違法があり、国家賠償法二条一項及び安全配慮義務違背(民法四一五条)の解釈適用を誤つた違法があるというべきである。
四1 本件緊急脱出装置の設置に瑕疵がなく、また本件脱出装置を本件事故機に装備したことが被上告人の安全配慮義務違背とはならないとする原判決の判断は、次に述べる本件事故原因の分析と事故防止対策の点より見ても、これを首肯することはできない。
すなわち、本件緊急脱出後の佐々木一曹の墜落事故は、パイロツトと座席が分離せず、そのためパラシユートが開傘しなかつたことによるものであるが、パイロツトと座席が分離しなかつた原因としては、次のものが挙げられる。
(一) 人間的要因
佐々木一曹が脱出後緊張のあまり座席と分離する行動をとることができず、アームレストを握りしめて離さなかつた。
(二) 機械的要因
パイロツト・座席分離装置の性能(分離能力)、安全性が不十分であつた。
2 右の事故原因の分析から、事故防止の対策として考えられる措置は次のとおりである。
(一) 人間的要因に対する事故防止の対策
(1) パイロツトとして精神的に未熟かまたは不安定で、緊急事態に冷静沈着に対処できない学生は、パイロツトの適性、能力を欠くものであるから、操縦させない。
(2) 緊急脱出後は、アームレストから手を離して座席から分離するように、学生を十分に指導、教育する。
(二) 機械的要因に対する事故防止の対策
(1) パイロツトが緊張のあまりアームレストを握つたままで、座席と分離することができない場合でも自動的に完全にパイロツトと座席が分離するよう自動分離装置の性能(分離機能)をレベルアツプする。
(2) 緊急脱出後パイロツトがアームレストを握つていられないようにアームレストの構造を改善する。
(3) パイロツトと座席が分離しなくてもパラシユートが自動開傘する装置を設置する。
(三) しかし、右(一)の人間的要因に対する事故防止の対策を講じても、本件のように学生が緊急脱出という異常な状態の下で、強い緊張に陥つた場合は、本人が手を離そうとしてもそもそも行動の自由がきかないのであるから(本人の注意力の問題ではない)、効果がない。したがつて、事故防止の決め手となるのは、右(二)の機械的要因に対する事故防止の対策のほかにないことになる。
3 被上告人は公務員に対する安全配慮義務及び一般不法行為規範に基づき、前記事故防止対策の措置をとる義務があつたが、右義務を怠つたため本件事故が発生したものである。
4 ところで、原判決は、本件事故の原因を専ら佐々木一曹の責任(過失)に帰しているが、事故の原因に対するこのような判断は緊急事態における人間行動の理論を無視したものであり、このような判断では本件と同種の事故を防止する役割を果すことは全くできず、事故防止のために何の寄与もしないものである。本件事故は前記機械的要因の対策によつて完全に防止することができたのであるから、本件事故の原因は被上告人の安全配慮義務違背及び緊急脱出装置の瑕疵にあるというべきである。
5 航空機のように複雑で高度に危険な施設の安全を確保するための重要なポイントは、フエイル・セイフといわれる設計思想である。つまり、システムを、フエイル(故障、ミス)してもセイフ(安全)であるような構造にして、二重三重の安全対策を講ずるのである(フエイル・セイフの設計思想については、柳田邦男「航空事故」中公新書二一九頁以下参照)。
フエイル・セイフの考え方からすれば、事故防止の決め手は前述のとおり、機械的要因の対策、改善ということになる。パイロツトが機外に緊急脱出後緊張のあまり適切な行動がとれなくても、自動的に座席と分離して安全に落下できるようなシステムが要求されるからである。本件についていえば、事故機がエンジンが停止したため飛行不能の状態になり、佐々木一曹が機外に緊急脱出すれば、同一曹は機外に脱出する訓練は全く受けていないのであるから、このような異常な状態に陥つた者が強く緊張したあまり自由な動作をとることができなくなる場合があることは、前述のように容易に予測できることであり、被上告人は右のような場合をあらかじめ予測して、パイロツトが自らの意思で座席と分離することができなくても、自動的に座席と分離するように、あらかじめパイロツト・座席分離装置の性能を設定しておくべきであつたのである。
もちろん、パイロツト・座席分離装置の性能を右のように設定することが不可能もしくは著しく困難であれば別であるが、分離バンドの引張力を手でアームレストを握りしめる力よりも大きくしてパイロツトを強制的に座席から分離させるか、脱出後アームレストが外れるか開くなどして、これを握つていられないようにするとか、又は座席と分離しなくてもパラシユートが開傘するように設計を変更すれば足りるのであるから、これらの措置を講ずることを要求することは被上告人に対して何ら不可抗力を強いるものではない。被上告人も技術的に不可能であるとの不可抗力の主張はしていない。
6(一) 航空機事故においては一般に次の四つの原因(四つのM)があるといわれている。
<1> マン 人間的要因
<2> マシン 機械、装置の欠陥
<3> メデイア 情報、施設、気象条件
<4> マネジメント 行政、企業的要因
本件事故の原因は前述のように一応<1>と<2>に分析することができる。しかし、<1>の原因はこれを完全に除くことはできないこと、及び<2>の対策により<1>の原因を原因でなくすることができたことは前述のとおりである。
(二) ところで、事故が起きると、原因はすべて人間(パイロツト等)の過失として非難が集中するのが普通であるが、これは人間がいわばトランプのババ抜きゲームでジヨーカーを引かされたようなものである。大事なことはジヨーカーのないババ抜き、すなわち人間の誤作業(緊張のあまり行動の自由を失つたことが原因の場合もあろうし、不注意が原因の場合もあろう)を惹起させない装置ないし誤作業をしても(人間の常である)事故にならないような装置が必要なのである。人間はいわば誤りを犯す機械であるから、通常陥りやすい誤作業を予測して安全措置がとられるべきなのである(甲第六号証二四九頁)。
本件事故の原因となつたパイロツトと座席の分離という作業は、本来機械的な作業であつて自動的、強制的に分離させることが可能であつたのであるから、パイロツトが緊張のあまり行動の自由を失つたため座席と分離する行動がとれなかつたとしても、これを事故に結びつけないことは是非とも必要であつたし、また前述のように技術的にも十分可能であつたのである。
7 したがつて、本件事故機のパイロツト・座席分離装置は本来有すべき安全性に欠ける瑕疵があつたというべきであり、右瑕疵の存在を否定した原判決には国家賠償法二条一項及び安全配慮義務違背(民法四一五条)の解釈適用を誤つた違法があるというべきである。
第二点
原判決には、次に述べるとおり、事実の認定について経験則に違反し、国家賠償法第一条一項及び民法第四一五条の解釈適用を誤つた違法があり、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
一 原判決が是認して引用する第一審判決によれば、本件墜落事故の原因は、次のとおりである。
1 佐々木一曹は、A五空域での空中操作訓練を終え、離着陸訓練を行うため浜松飛行場に向う際、二度の降下点検(降下に移るときと高度五、〇〇〇フイート通過時の二度)をなし、スイツチをギヤングロードオンのポジシヨンに すべきであつたのにいずれもこれを怠り、
2 更に、イニシヤルポイント通過時における着陸前点検も怠つて離着陸訓練に入り、
3 すでに点灯していたチツプタンクのインジケーターランプの確認もせず(なお、フユースレジタンクのインジケーターランプも点灯していたはずであるが、この確認も怠つた。)、
4 しかも、第一回離着陸訓練実施後、エンジン出力が不調となるや、モーボ幹部、指揮所幹部のギヤングスタートを入れろとの指示に対しても、誤つて同スイツチの近くにあるエマージエンシイフユーエルスイツチを「オン」に操作したため、エンジンの再始動に失敗し、
5 そのうえ、 佐々木一曹は機外に緊急脱出したのちも、緊急時における異常な緊張のため座席のアームレストを固く握りしめていたためパラシユートが開傘せず、座席とともに落下を続け、浜名湖上に激突した、
というものである(第一審判決二四丁裏、二五丁表、二八丁表裏)。
二 原判決が是認して引用する第一審判決は、右事故につき、被上告人において、佐々木一曹が単独飛行訓練にたえる力量ないし適性がないのに正確にこれを把握せず、単に教育訓練スケジユールにしたがつて本件単独飛行訓練を実施させたとの不当の廉は見当らず(第一審判決三六丁表裏)、また緊急脱出装置の操作に習熟させる訓練をも実施したから(同三一丁裏)、被上告人に国家賠償法第一条一項及び安全配慮義務違反に基づく責任はない旨判示した。
三1 ところで、右一の4の誤操作は緊急時における咄嗟の誤りというべきであるが、右一の1ないし3の各過誤は十分時間的余裕がある場合の基本的な誤りである。すなわち、原審証人升田和重が証言しているように、二度の降下点検と着陸前点検を三度とも怠つたということは考えにくいことであり(同証人調書三六七項)、また二個の警告灯の点灯に気が付かないということも通常ありえないような(同証人調書三六七項)、いわば全く初歩的な誤りである。したがつて、このような初歩的な過誤をしかも多数回連続して犯したということは、佐々木一曹が航空機パイロツトとしての基本的技術、能力を身につけていなかつたことを如実に示すものにほかならない。
2 また、右一の5の佐々木一曹が緊急脱出後もアームレストを握りしめていたことは、同一曹が異常な緊張によつて行動の自由を失つた結果と思われるから、これを過誤ということはできない。しかし、佐々木一曹の右行為は、同一曹がパイロツトに要求される冷静沈着さを欠き、パイロツトとして精神的に未熟かまたは不適格であり、かつ緊急脱出の手順に十分習熟していないことを現実に示すものである。
3 したがつて、右に見たとおり、本件事故の原因、態様からして、佐々木一曹がパイロツトに要求される精神及び技量の両面において未熟かまたは不適格であることが明らかであり、同一曹がパイロツトとしての能力を欠如していることが客観的に明らかであるから、原判決の前記判断は事実の認定について経験則に違反した違法があるというべきである。
四1 佐々木一曹は未だパイロツトの資格を有しておらず、当時操縦教育を受けていた航空学生であつた。このような者に対し、危険な単独飛行訓練を実施するに際しては、心技両面の操縦能力の未熟さ、パイロツトとしての不適性等から生ずる学生の生命、身体を危険から保護するため、被上告人は高度の安全配慮義務を負つているというべきである。
2 したがつて、被上告人は、航空学生に対し単独飛行訓練を実施するに際しては、航空学生の安全を配慮し、学生の心技両面の力量ないし適性を正確に把握して単独飛行訓練に十分たえうる者に対してのみ右訓練を実施すべきであるが、前述のとおり、佐々木一曹はパイロツトとしての精神及び技量の両面において未熟かまたは不適格であり、かつ緊急脱出の手順にも十分習熟していないため単独飛行に十分たええない者であつたにもかかわらず、被上告人は同一曹の力量ないし適性の正確な把握を怠り、また緊急脱出の手順を確実に実施できるように十分習熟させることも怠り(前述の原判決認定の原因、態様による事故が発生したこと自体から右事実が推定される。)、単に教育訓練スケジユールにしたがつて、未熟な同一曹に本件単独飛行訓練を実施させたのであるから、これは被上告人の過失及び安全配慮義務違背にあたるというべきである。
以上述べたところにより、経験則に違反して、佐々木一曹が単独飛行訓練に十分たえうる力量と適性があつたと事実誤認をして、被上告人に国家賠償法第一条一項及び安全配慮義務違反(民法第四一五条)の責任はないと判断した原判決は破棄を免れない。(なお、本件については、夜間訓練中の自衛隊機墜落事故につき搭乗員の練度不足を知り、または知りえた航空隊司令が事故機を訓練に参加させたことは国の安全配慮義務違背にあたると判示した東京高判昭和五六年四月二七日(判例時報一〇〇五号一〇一頁・甲第八号証)が参考になる。)
第三点
原判決には、次に述べるとおり、判決に影響を及ぼすことが明らかな証拠手続の法令違背及び審理不尽の違法がある。
一 上告人は、原審において、昭和五八年三月一八日、左記の如き文書提出命令の申立をした。そして、被上告人に対し提出を求める「航空事故調査報告書」は上告人にとつて左記「証すべき事実」を立証する唯一の証拠方法である。
記
1 文書の表示
昭和四七年二月九日、航空自衛隊第二五期航空学生佐々木進一曹の搭乗した第三三教育飛行隊所属のT三三Aジエツト練習機(八一―五三四一号)が、静岡県浜松市平松町東方四〇メートルの浜名湖水上に墜落し死亡した事故について、航空自衛隊航空事故調査委員会が作成した「航空事故調査報告書」(同添付の航空事故現地調査書も含む。)
2 文書の趣旨
航空事故調査及び報告等に関する訓令(昭和三〇年五月二六日防衛庁訓令第三五号)に基づいて、航空自衛隊航空事故調査委員会が、右事故の概要、事故の原因を調査した結果を記載した記録である。
3 文書の所持者
被上告人(被控訴人)
(保管者 東京都港区赤坂九丁目七番四五号
航空自衛隊 航空幕僚長)
4 証すべき事実
佐々木一曹が、パイロツトとしての適性を欠くか又は技量未熟のため、本件単独飛行訓練に十分たえうる操縦能力、及び緊急脱出装置の操作を適切に行う能力がともになかつた事実と、被上告人が同一曹の右適性と能力を正確に把握していなかつた事実。
5 文書提出義務の原因
本件訴訟は、本件事故機が墜落し、搭乗員である佐々木一曹が死亡したことにより被つた同一曹及びその遺族たる上告人(控訴人)らの損害を、被上告人(被控訴人)の安全配慮義務違反(民法第四一五条)又は不法行為責任(国家賠償法第一条一項もしくは同法第二条一項)に基づいて請求するものである。
ところで、本件文書は、航空事故調査及び報告等に関する訓令(昭和三〇年五月二六日防衛庁訓令第三五号、疎第二号証)に基づいて作成され、防衛庁長官に提出される公文書(同訓令六条、八条)であつて、本件航空事故の状況、態様、原因等の調査結果を記載した文書(具体例として、疎第一号証を参照)であるから、被上告人(被控訴人)(所持者)と上告人(控訴人)(挙証者)の間の安全配慮義務(違背)及び不法行為責任に関する法律関係について作成されたものである。したがつて、単なるメモや日記等公務員が職務の便宜上作成する所謂自己使用のための内部文書とは異なる。
本件のような国の安全配慮義務違背による損害賠償事件ないし国家賠償事件において、一私人が国のような強大な機構と権限を有する者に対して訴訟を提起する場合には、右両者間にはその証拠の収集能力において莫大な差異があるのであつて、ことに自衛隊のような高度の機密性を保持している組織内で発生した事件に関する訴訟においては、部外の一私人がその証拠を収集することはほとんど不可能に近い。
本件文書は、上告人(控訴人)らにとつて、その証拠不足を補う唯一の証拠ともいうべき性質のものであつて、立証上きわめて重要なものである。
従つて被上告人(被控訴人)は、本件文書を民事訴訟法第三一二条三号後段に基づいて提出する義務を負う。
二 これに対し、原審は、昭和五八年七月六日の口頭弁論期日において、口頭で右文書提出命令の申立を却下する旨の決定をなし、かつ決定理由の開示もしなかつた。
三 しかし、自衛隊機の航空事故により死亡した自衛隊員の遺族らが国に対し不法行為又は安全配慮義務違背を理由に提起した損害賠償請求訴訟において、原告側が請求原因事実を立証するため「航空事故調査報告書」の提出命令を申立てたケースでは、高等裁判所段階では例外なく申立てが認容されており(すなわち、<1>東京高決昭和五〇年八月七日判例時報七九六号五八頁、<2>東京高決昭和五三年一一月二一日判例時報九一四号五八頁、<3>東京高決昭和五四年四月五日判例タイムズ三九二号八四頁、<4>東京高決昭和五七年二月四日判例時報一〇四三号五六頁、<5>東京高決昭和五七年三月一九日判例時報一〇四七号八六頁、<6>東京高決昭和五八年六月二五日判例時報一〇八二号六〇頁)、「航空事故調査報告書」が民事訴訟法第三一二条三号後段に該当する文書であることは実務的にはほとんど確定的な判例法となつているといつてよい(東京高決昭和五七年三月一九日判例時報一〇四七号八六頁のコメント参照)。
四 原審の前記却下決定には何らの理由も付されていないため、その決定理由は知る由もないが、前記確立した判例法にてらせば、右却下決定は民事訴訟法第三一二条三号後段の解釈適用を誤り、また申立人にとつて唯一の証拠方法の取調べを却下したものであるから民事訴訟法第二五九条の解釈適用を誤つた違法があるというべきであり、この誤りによつて原判決は審理不尽に陥つているから破棄を免れない。
以上